2020年10月29日
トリーター:伊藤

「査読」ってなあに?

ちょっとカタいお話ですが、よろしければお付き合いください。
最近、「研究スキルを身に着けたい!」という同僚の申し出を受けて、ちょっとお手伝いをしています。彼が展示飼育下で得られた成果を研究の形にまとめる中で、研究へのスタンスの説明や、発表の第一歩となる要旨へのアドバイスをおこなっています。

私たち学芸員の使命の一つが、研究です。そのアウトプットとして最も手軽なものに発表会(ポスターや講演)があり、がっつりとしたものに論文があります。
発表会はあくまで論文への途中経過、自己鍛錬に過ぎないとする意見もありますが、そのあたりは別の機会に譲るとしまして、実はもう一つ、みなさまにあまり知られていない「研究者がおこなうこと」があります。それが「査読」です。今おこなっている要旨へのアドバイスも広い意味ではそれにあたります。

「査読」では、他人の研究が発表される前にチェックして、より良くするためのアドバイスをしたり、間違いや分かりにくさを修正したりします。時に「これじゃダメです」の烙印を押さねばならないこともあります。
興味深いことに、学会誌などで生じる本来の査読では、執筆者と査読者の間を編集者が仲介し、多くの場合、執筆者は査読者が誰なのか知りません。査読者が執筆者に対して「実は僕が査読してるんだよ~」なんていうのはNGです(あえて査読者を事前公開するケースもあります)。
こうすることで、例えば目上の方の研究でも、後輩が心置きなく査読できたりするわけです。逆に自分が執筆者の場合は「今、目の前で談笑しているこの若者が査読者かも知れない」などと、ドキドキさせられることもあります。ドラマ化したら面白い・・・かも知れません。

私の場合、手に負えない内容の場合や、自身が内容に関係している場合を除いて、自分の勉強にもなるので、何度か査読を引き受けてきました。引き受けたからには本気でチェックするのでなかなか大変です。
一方で、まだ世の中に出ていない新知見をいち早く目にすることができるわけで、人気漫画家の生原稿を最初に見ている編集者の気分に近いかもしれません。

・・・あまりにカチカチなお話すぎたので、最後にちょっと時事ネタも。何のことかは察してください。
研究者には査読に代表されるようなハードルがあるものの、研究成果やそれに基づく主張をアウトプットする手段はふんだんに用意されています。価値ある内容(新しい発見が含まれているなど)であれば、査読者の助けを借りて、世界に向けて発信できるのです。そのために多額のお金や立派な肩書きは必ずしも必要ないはず、などと思っております。
私も若い同僚に刺激を受けながら、これからも精力的にいきたいと改めて思いました。

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