新江ノ島水族館に行きたい。
夢にまで見た、その姿を、この目で見たい。
一刻も早く、一秒でも速く、新江ノ島水族館に行きたい。
18,000人がそんな思いを胸に秘め、一斉に一路、新江ノ島水族館を目指した。
正確には、その 3つ先の交差点を。
「位置について、ヨーイ、ドン!」
の号砲で、ついに、トリーター日誌史上、最長で一番疲れた物語は始まった。
第 6回湘南国際マラソンには、
たとえ、門番に媚びを売ろうと、呪文を唱えようと、その門は二度と開かない。
また、今回から立ち小便をするとゲームオーバーだとか。
万事、スタートが肝心だ。
いつもは、「ドン!」の音で条件反射のように、全力で走りだし、後半失速する、自滅型の私は、周りの雰囲気に飲まれないように、唾を飲み、大勢の人が少なく見えるように、目を細め、他の人の会話で心を乱されないように、耳を塞ぎ、ランナーが半分に減ったかのように感じるように、左端を走った。
そんな不格好な走り方でたどり着いた、7km地点過ぎ湘南大橋を渡る。
西から東を往復するコースと交差するかのように、北から南に相模川が流れ、河口近くの下流は馬入川とも呼ばれている。
アザラシを保護した場所。
日本動物園水族館協会の血統登録台帳によると、神奈川で保護した唯一のゴマフアザラシだ。
どんなところにも、一つや二つ、伝説と化した逸話はあるものだ。旧館から伝わる、その保護にまつわる話。
馬入川河口の砂州で休んでいたアザラシの隣りに、今でもいるえのすいトリーター、その御方がしばらく添い寝をした。
アザラシが油断した隙に、その男は、持参した網で、1997年 5月 15日 23時 30分 アザラシを捕まえ、自分の車で連れ帰った。
伝説とは、いくつかの尾鰭が付くことは世の常で、どこまでが本当のことなのか、その男は黙して語らない。
一説には、アザラシのために、男は子守唄を歌ったとも。
が、しかし、男の名誉のために、書いておこう。
その日の朝 6時半ごろ、茅ヶ崎市南湖の漁港の外でアザラシが泳ぎ回っているのを地元の漁師が目撃し、岩場で休んでいたのを最後に、姿を消した。
警察から当館にアザラシの保護願いが出されており、夕方数名で現場に出向いたのだが、見つけることができず、深夜の捕物劇となったことを。
体長 105cm、体重 23.6kgのオスで、腰部から後肢にかけて多数の擦過創があり、中でも左腰部と右後肢の創面は大きく損傷は激しかったので、しばらくの間、隔離して治療を行ったことも。
いつの頃からだったのか、男は、そのアザラシを太平と呼び始めていた。
長丁場、あれや、これやと考えながら、気を紛らわせる。
気が付くと、茅ヶ崎公園、10.8km地点。
第一関門、無事通過。
右横に、烏帽子岩が見え、右前方の江の島がだんだん大きくなり、日頃見慣れた、姿になってきた。
ただただ、走る。
17km地点を過ぎて、しばらくすると、江の島と重なるようにして、水族館が遠くに見えて来た。
夢にまで見た、新江ノ島水族館。
なぎさの体験学習館前には、なんと、わが家族とその男。
夢にも出てこなかった、組み合わせ。
18km地点、新江ノ島水族館入場口。
今日ほど、水族館が長くて良かったと思ったことはない。
18.4km、第 1の折り返し地点、江の島入口交差点。
右に回り、大きく息を吐き、小さく感動。
今来た道を、再び走り出す。
19km地点、再びなぎさの体験学習館前。
わが子らと、ハイタッチ。
もう一度、行ってくるよと、父になる。
念願の水族館を通り過ぎてすぐに、第二関門。
19.2km地点、無事通過。残り、22.995km。
右足を出し、左腕を振り、左足を出し、右腕を振り、息を吸い、息を吐く、とシンプルに走る。が、しかし、考えながら走ると、走れない。
だんだん、足が重くなる。
再び、烏帽子岩の横を走る、今度は左側。
しばらくすると、サザンビーチ。
新江ノ島水族館が開館した翌年の翌日、2005年 4月 17日にハナゴンドウを保護した所。
今でも、酸素吸入器持ってく?、と言われたのを記憶している。
それって、ハナゴンに?、と聞き返しそうになった。
人の厚意を無にしてはいけない、と婉曲話法でやんわりとお断りした。
少なくとも、ストランディング(座礁)した鯨類の酸素吸入をしたことはないし、おそらく、することもないだろう。
ましてや、人用のものであれば、なおさらだ。
第三関門、相模川流域下水道左岸処理場通過、28.3km地点。
走る、歩く、走る、歩く、走る、歩く。
下を向きながら走っていると、第四関門通過。
32.5km地点、花水レストハウス通過。
しばらく走ると、あの給水地点をすこし過ぎた所に着いた。
あの夏休み最後の日、カマイルカを保護したところ、小田原市早川漁港。
前回からきょうまで 1,327日間、ずーっ、と考えていた。
あの場所は、本当に早川漁港だったのかと。
地図上では、あの漁港はコース外の西側だし。
えのすいトリーターは嘘をついてはいけない。
今回、マラソンを走った最大の理由は、その場所が早川漁港かどうか、を改めて確認すること。
そこには、大磯港、の文字が。
トリーター日誌ファンのみなさま、前回の作品を読んでいただいたみなさま 誠に申し訳ありませんでした。
私は間違った情報を流していました。
このようなことがないよう、努力精進いたします。
さて、話を戻そう。
ゴールすぐ横の第五関門、大磯西 IC、36.8km通過。
湘南国際マラソンは高低差がわずか 10mと平坦なコースで走りやすい。
が、しかし、ゴール横を一度通過して、しばらく走って往復することほど精神的に辛いことはない。
そのまま、右に曲がればすぐにゴールだが、残り、5.359km。
歩く、休む、走る、歩く、休む、座る。
左足ふくらはぎが別の生き物のように蠢きはじめた。
私の意志とは無関係に、ギューと、つり出したのだ。
左太腿裏、左尻までも痙攣をはじめた。
ほとんど、左足がいうことを利かない。
たまらず、救護スタッフに左足を伸ばしていただけませんか?、と私。
構いませんが、私が手をお貸しすると、あなたは棄権になりますよ、の一言。
例えば、野生動物とは、自らの力で生きる動物であり、人の助けを必要とする動物は保護され、自然界では生きていけない。
それと同様に、助けを借りれば、私もレースから外されることとなる。
ごもっともな、ご指摘。
それが嫌なら、さあ、歩けゴールまで。
やっと、第 2の折り返し地点、西湘二宮IC。
これから本当のラストラン、2km余り。
そのまま西にずーっと行くと、二宮町中村川河口。
2005年 10月 21日、生きたハップスオオギハクジラが打ち上がった所、残念ながら、その日は出張で現場に駆け付けることができなかった。
体長 5.2mのオスだったようだ。
最後の 1km。
それまでの呪縛が解けるかのように、左足が嘘のように動き始め、再び走り出す。
急な登り坂を駆け上がり、数人を抜いた。
待望のゴールを走り抜け、なぜか前のランナーに倣って、今来た道に振り返り、一礼をした。
湘南よ、ありがとう。
来年も走らせてください、と。
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[走れ、俺!ゴールは遠い]