「岩崎、底曳乗ってみない?」
「根本くんと戸田に行ってきてよ」
12月のある日、えのすい乗船採集の中で最も過酷なことで知られる駿河湾の深海底曳網漁への参加を任命された。
目的の生物は深海のアイドル、あのメンダコだ。
気温と海水温が低い冬場は、深海生物を採集するには最適な条件がそろう。
しかし、その反面季節風の影響で荒天の日が多く、成否は天候に大きく左右される。
現地入りしてからの中止もざらに起こるのがこの採集だ。
採集予定は2015年1月14日。
予想天気図を確認。
冬型の気圧配置が緩み、14日は高気圧のど真ん中。
またとないチャンス到来だ。
がぜん準備にも力が入る。
13日の午後沼津市戸田に向けて出発。
現地で仮眠をとって14日の未明に出港。
今回お世話になったのは深海底曳網漁船の水八丸さん。
ほぼ無風、絶好の凪だ。
海況が良かったので漁獲量が見込まれる遠い場所で操業することになった。
冷え込む空気。
息が白く立ち上る。
夜空が近い。
月は輝き星が瞬く。
目指す漁場まで約3時間。
「おい若いの、新顔だな」
「船はだいじょうぶなのか?」
「時間かかるからな、少し休んでおきな」
毛布を半分わけてもらう。
言葉は少々乱暴だが漁師さんは気前が良くて優しい人が多い。
夜明けが近い。
1回目の網を曳く漁場に到着。
日の出を待って底曳網漁が始まった。
船尾から片方ずつ網を入れて水底で袋状に広げる。
水深 300m前後をしばらく曳く。
獲物が入った頃合いを狙って船に巻き揚げる。
1回目の網が揚がってきた。
漁師さんたちの主な狙いは戸田名物タカアシガニと手長エビ。
手長エビとはアカザエビのことで、高級エビとして高値で取引される。
その他にも深海性の魚類がごっそり揚がってきた。
メンダコを探す。
いた!
「メンダコは臭いから網に入っているとすぐにわかるよ」
なるほどこの臭いか。
独特の生臭さ。
メンダコは光に弱いのでバケツの中で遮光保管する。
幸先良く 3個体を確保。
丸く膨らんだミドリフサアンコウやベニテグリなども確保することができた。
船は得意な方であったが、魚の仕分け作業をしていたところ船酔いが始まった。
多くの乗船者を悩ませる船酔いは、底曳独特の揺れが影響するのだろうか?
長時間下を向いた作業ができない。
仕分け作業は少しにして、写真撮影や海況の記録を主に担当することに。
2回目、3回目、4回目と約 90分間隔で漁は続く。
巨大なアンコウやギンザメなどの深海ザメ、イカやタコの仲間などが次々と水揚げされる。
微妙な船酔いは続く。
これでは“あれ”が食べられないかもしれないな。
お昼ご飯は獲れたエビや深海魚を味噌仕立てで味わう深海汁をわけていただくのが恒例なのだ。
おさかなマイスターとしてこれは外せない。
「酔い止め飲んだ方がいいですよ」
根本さんから渡されたのは子どもの頃、乗り物酔いした時に飲んだあの薬。
飲んでしばらくすると酔いがすっきり。
さすがロングセラー、伊達じゃない。
下を向いて作業ができる!
食欲も出てきた。
ソコダラ、メギスなどの深海魚にエビがたっぷり入った深海汁も食べることができた。
エビと魚の出しが効いたスープ。
深海魚の淡泊な白身。
これはうまい。
いよいよ5回目、最後の網だ。
本エビと呼ばれるヒゲナガエビや赤エビと呼ばれるツノナガチヒロエビなどがごっそり。
「持ってきな!」
クーラーボックスにはお土産用のエビ類やソコダラやメヒカリと呼ばれるオオメエソ、メギスと呼ばれるニギスなどが満杯に。
再び3時間かけて戸田へ漁場を出発。
ここからが勝負だ。
生かして水族館に生物を持ち帰らないと採集に来た意味がない。
船上では水替えや浮き袋にたまったガスを抜く作業に追われる。
ほっとしている余裕はない。
夕方無事に帰港。
えのすい号に生物や荷物を積み込んで戸田を後にする。
「気を付けてな!」
「ありがとうございました!」
急いでかつ安全運転で水族館へ向かう。
夜の8時頃ようやく帰館。
メンダコは早速展示水槽に収容して15日から公開。
こうして今年もメンダコチャレンジがスタートした。
まずは“えのすい”記録更新が目標だ。
メンダコはきょうも水槽底でじっとしている。
つぶれたスライムみたいだがこれが調子の良い状態。
なんとも不思議な生き物だ。
「これを見に来たんだよ!」
早速うれしい声をいただいた。
メギスや本エビ、赤エビのから揚げやソコダラの塩焼きなど深海料理に挑戦。
深海汁と合わせておさかなマイスターとしてもよい経験をさせていただいた。
お世話になりました戸田のみなさん、ありがとうございました!